2020.11.27
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匸P　　コーヒーブレイク　

　　　中国の歴史認識はどう作られたのか
　　　　NEVER FORGET NATIONAL HUMILIATION,2012　　
Historical Memory in Chinese Politics and Foreing Relations

　　　　　　　　　　Zhen Wang著 　伊藤真訳　東洋経済新報社　2014.05.19
　　　　　　　　　　ワン・ジョン
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　中国人には選民意識がある。世界の「中」心であり、四夷に文明を与える「華」
(すばらしい）の国という意識だ。同心円から遠い国ほど夷であり、古代日本は
東夷と見られた。その中国が、1800年代半ばから1900年代半ばまで、西洋列強及び
日本に侵略される恥辱の一世紀を味わった。「革命の前衛組織」を標榜していた中国
共産党は、1991年のソ連崩壊後、この国恥を利用して新しい歴史教科書を作成し、
「愛国主義の政党」を前面に立てた。中華民族の栄光を都合良く選択し、その民族が
受けた恥辱と、民族を解放した共産党の功績を歌い上げ、党の正当化を図った。
　歴史認識は愛国主義キャンペーンによって全国に展開され、同時に天安門事件で
学生を虐殺した負の歴史は消し去った。現代中国は「中華民族の偉大な復興」と称し
領土拡大を続けている。ゆがんだ愛国主義・集団的記憶が生んだ副作用だ。
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　「勿亡国恥，強我国防」と標語が書かれた黒板を背に、可愛い幼児たちがこぶしを
振り上げている写真がある。表紙にも、デモ行進の先頭だろうか「勿亡国恥」と印刷
された横断幕を持ち、怖い顔でこちらを見ている女子生徒たちの写真があった。
　良く見ると横断幕の白い部分に名前や団体名のような寄せ書きがある。
　「勿亡国恥」は、国民に被害者意識を刷り込むため、江沢民が作った標語だ。
　歴史的事実は無数にあるが、その中から選択された物語だけが歴史的記憶になり、
それ以外の事実は忘れ去られる。この本はその過程を検証した学術書とも言える本だ。
　筆者は中国雲南省昆明出身の在米国際政治学者で、この本で国際関係学会(ISA)
イェール・ファーガソン賞を受賞している。
【アイデンティティという変数】
　歴史の彼方に遠ざかろうとしている20世紀初頭の数々の出来事を根拠として、
中国の若者たちはますますナショナリズムに傾倒している。
　なぜこのようなことが起きているのか、歴史的記憶に科学的な調査研究の手法は
使えるのか。筆者はこの疑問に対して、政治学者アンドレイ・マルコヴィッツと
サイモン・ライクの以下の言葉を引用している。
　《集団的記憶、それは定量化するのは不可能で、意識調査の手法で測定するのも
困難であり、それでいてきわめてリアルなものだ。集合的記憶の政治学はあらゆる
国において、政界のあり方、政策論争、そして政策決定の重要な構成要素のひとつで
ある。それは容認できる範囲を確定する。一国の多くの市民にとって、誇り、不名誉、
恐れ、復讐心などを規定する。それはナショナリズムを煽るさまざまな力を理解する
ために欠かせないものである》
　歴史的記憶(歴史認識)が作られ社会に定着していくメカニズムを解明するために、
筆者は、中国の歴史教科書、公文書、回想録、インタビューなど膨大な資料を集めた。
　そして「アイデンティティ」が歴史認識の変数になるとの仮説を立てた。
　筆者が注目したのは、政治的キャンペーンの重要性であった。
　集合的記憶は、政治的にあおられ形成される「アイデンティティ」を変数とする。
　易しく言い換えれぱ、政治家が都合良く描いた自国像「アイデンティティ」が、
国民に浸透し、その量が一定の値を越えると、国民が認める集合的記憶になる。
　この仮説の検証で、筆者が提示した本書の主題と結論は、肯定文に書き直すと次の
ようになる。(※原文は疑問形）
　１．中国共産党の指導者たちは、歴史記憶を利用して国民的アイデンティティを
構築し直し、冷戦後も中国を支配し続ける正当性を確保した。
　２．再構築された国民的アイデンティティは中国の対外的な振る舞いを変容させた。
【歴史認識の形成】
　中国共産党が新たな「歴史認識」を形成した手法は実に大がかりなものだった。
　党は、国民に記憶して欲しい史跡に、巨大なモニュメントや博物館を建設し、
愛国主義ツアー(紅色観光)を企画した。地方政府は、党が建設した数百の施設を
維持し、小中学生ら多くの人々が、毎年これらの史跡を訪れる制度を設けた。
　トップリーダ７人も、自ら作った歴史認識と被害者意識に酔ったというべきか、
被害者としての意識が敏感になっていた。そんな折り、アメリカが起こした３つの
事件に過剰反応し、危機的な米中対立に陥ったことがあった。
　1999年5月8日、NATO軍がユーゴスラビアの中国大使館を爆撃する事件が起きた。
　原因は米軍の手許にあった古い地図が更新されておらず中国大使館と知らずに誤爆
したものであったが、運悪くさらに2つの事件が連続したため、中国のリーダたちは、
議論を重ねた末、アメリカが中国侵略を始めたものと誤認した。
　幸い、この時はアメリカが丁寧に謝罪したため米中衝突は回避された。
【愛国主義教育実施要綱】
　1994年に「愛国主義教育実施要綱」が党中央委員会で採択された。
　歴史教育の政治学の項に、江沢民が発した以下の愛国主義教育文献がある。
　《愛国主義思想を社会の主旋律にするためには、強い愛国主義的気運を創り出し、
人々が日常生活の中でいつでもどこでも、愛国主義的思想や精神の影響と薫陶を受け
られるようにしなければならない。現代的な伝達手段を活用し、大衆に対する愛国
主義教育を推進することは、あらゆるレベルの報道、出版、ラジオ、映画、テレビの
部門にとって神聖な職務である》
　続く1996年にも、江沢民は次の演説を行っている。
　《我が党は中華民族の卓越した伝統を受け継ぎ、前進させてきたのであり、
民族の主権を守る闘争において、最大の犠牲を払い、最大の貢献を成し、そして
中国のすべての民族、人民の心からの愛と支持を勝ち得てきた。中国共産党は最も
断固たる最も徹底した愛国主義者である。中国共産党の愛国主義は中華民族と中国の
人民とにとって最高の模範である》
【愛国主義教育基地】
　中国の人々は林立する記念碑に囲まれて生活している。博物館、史跡、公共的な
彫刻がいたる所にある。その代表が国家レベル愛国主義教育基地だ。その内訳は
対外紛争40カ所、国共内戦24カ所、神話21カ所、英雄15カ所となっている。
　ほかにも「毛主席のよき兵士・黄継光」記念館（四川省）など朝鮮戦争の英雄を
称えた施設が4カ所ある。以下は日本の侵略に関する記念館の代表例だ。
◇「中国人民抗日戦争記念館」(1937年盧溝橋事件の現場付近）は、1987年に建設され
1995年に拡張された。開館以来、900万人を上回る見学者が訪れた。
◇「九・一八歴史博物館」(1931年柳条湖事件の現場付近）は、1991年に建設され
1999年に改装された。江沢民の9.18献辞文が巨大な大理石に刻まれている。
◇「日本軍の侵略による南京大虐殺で殺害された同胞の記念館(南京大虐殺記念館)」は
1985年に建てられ、1995年に拡張と改装が行われた。開館以来、1000万人以上が訪れ、
80を越える学校その他の組織が提携団体となっている。
　上記のほか、本書には驚きの巨大建築物の写真がいくつも掲載されていた。
　省、直轄市レベルの愛国主義基地も沢山ある。
　北京市、国家レベル9、省レベル88、県レべル500、見学者数　総計2億5000万人。
　河北省、国家レベル6、省レベル38、県レべル113、見学者数　総計1億人。　
　江蘇省、国家レベル11、省レベル154、県レべル800、見学者数　不明。
　江西省、国家レベル9、省レベル45、県レべル208、見学者数　2004年で400万人以上。
　安徽省、国家レベル6、省レベル71、県レべル257、見学者数　不明。
　地方政府は関連事業を調整するため「指導チーム」「領導小組」を設けて支援する。
　十数の省が1000万元(1億5000万円)以上を支出し、各レベルの愛国主義教育基地を
維持運営している。基地の総計は優に1万カ所を越える。
　記念館の見学は、学校教育の通常のカリキュラムの一環となっている。
　2004年、中国政府は、すべての小中学生の団体見学は無料、学生個人の見学は通常
料金の半額とするよう地方政府に呼びかけた。
【愛国主義キャンペーン】
　愛国主義キャンペーンでは、娯楽を教育の手段に導入するよう努力すべきだとして
「3つの100」運動も立ち上げた。(2004年10月）
　お勧めの映画100、お勧めの歌100、お勧めの本100というものだ。
　映画「上甘峠の戦い」は、朝鮮戦争のおり、上甘峠(サンクムリュン:三角高地とも
呼ばれる)での米軍と中国軍の熾烈な攻防戦を描いたものだ。こうした映画は、
政府が資金を援助して制作される。政府推奨の映画作品は政府機関や学校で上映され、
職員、学生に必ず観賞させるので、かなりの収益を生む。
　党中央委員会と国務院は「紅色観光」(レッド・ツーリズム)も始めた。
　愛国主義教育基地からいくつかを選び、多くの見学者を送り込み、稼ぐ算段だ。
　2004年には、13の省や市の150カ所以上の基地での見学者は2000万人にのぼった。
　愛国主義「教育」を巧みに愛国主義「観光」にすり替えた効果だった。
　2004年から2007年まで「紅色観光」に参加した人は四億人を越えた。
　陝西省延安の中国共産党本部「革命の聖地」、毛沢東の生まれ故郷(湖南省）は
人気のスポットらしい。
　法定休日も愛国主義教育にあてられている。
　春節2月、婦女節3月18日、労働節5月1日、青年節5月4日、児童節6月1日、建党日
7月1日、建軍節8月1日、国慶節10月1日がこれに該当する。
【制度化する歴史認識】
　信念や観念は3通りの形で政治的な行動を左右すると筆者はいう。
　1.目指すべきゴールが明確になるように働く「道しるべ」。
　2.政治的行動を選ぶ際によりどころとなって働く「結束の要・接着剤」。
　3.集団の観念や信念を深く根づかせるプロセスとして働く「制度化」。
　「制度化」された集団の信念は、実際に政策を実行する人たちの意識を長期間に
渡って縛ることになる。「愛国主義キャンペーン」は国恥と表裏一体の教育運動で、
青年や学生をターゲットにして始められたが、これが次第に国民全体を動員するものに
変わり、愛国主義は歴史記憶とともにイデオロギー教育の最も重要なテーマとなった。
　党は宣伝機関を総動員して愛国主義運動を推進した。定期的な政治研修を、学校の
教員、管理者、軍の将兵、官公庁や政府関係機関の全職員に受けさせ、さまざまな
行事への参加を命じてきた。党は人々のあらゆる生活場面で、毛沢東時代に行った
「大衆動員キャンペーン」に代わるプロパガンダとして「国恥」「愛国主義」の
番組や記事を流している。
　しかしこの20年で、党が動員しずらくなった、イデオロギー無関心層も増加した。
　民間企業オーナ、技術者、経営者、個人営業の専門職、医師、弁護士、一般企業の
社員らの層が約１億5000万人にもなった。彼等は、愛国主義キャンペーンの番組や
記事を見なくても良い。こうした層に対して、愛国主義キャンペーンは重要な党の
監視ツールとして働く。彼等がずっと党に無関心で暮らしていると、例えば年末に
日本の紅白歌合戦のような習近平を称えまくる番組がある。彼等がこの番組を見て
いなければ周囲にいる愛国主義者との日常会話でズレが生じる。このことで愛国度が
周囲の人々に疑われるようになるという訳だ。下手をすると逮捕されかねない。
　2006年、共産党の狙いに気づいた中山大学の哲学教授・袁偉時氏が「氷点週刊」
(「中国青年日報」の付属週刊誌）に「近代化と歴史教科書」と題する長文の論文を
寄稿し、中学生向け公認歴史教科書を強く批判したことがあった。
　袁氏はこの論文で、円明園の破壊と義和団の乱という二つの事例を取り上げ、
人民教育出版社の公認教科書はこれらの歴史的出来事の一面しか説明していないと
指摘し、生徒に「偽薬」を飲ませ、盲目的なナショナリズムと偏狭な排外的感覚を
醸成するものだと批判した。
　すると2週間後、党は異例の早さで当該週刊誌の発行を停止し、編集長を更迭した。
　そのうえで全メディア、ウェブサイトに対し、本件に関する一切の報道を禁止した。
　党がいかに歴史教科書に重きを置いているかが、はっきり分かる事件だった。
　それから14年が経った。2020年11月11日、香港の民主派議員4人の資格剥奪に抗議し
15人の民主派議員が全員辞職した。香港立法会に残る民主派議員は2人だけになった。
　11月25日、林鄭月蛾(キャリー・ラム)行政長官は、公務員の忠誠義務を厳しくすると
発表し、中国政府に従わない議員らを排除することを明言した。
　2020年9月24日、在日香港人のウィリアム・リー氏が、ジュネーブ国連人権委員会
理事会、General Debate,Item3 で、持ち時間90秒を使い、次の演説を行っている。
　《私は現在日本在住の香港人です。香港国家安全維持法が成立して以来、香港に
言論の自由はもう成り立ちません。百人以上の民主派が国家安全法違反容疑により
逮捕されています。彼らはただ正義のためだけに、民主主義のため、声をあげただけで
国家転覆行為とみなされます。これは中国が香港を操る手段です。
　先月、民主化運動家アンディ・リーを含む12人の香港人が中国大陸で行方不明に
なっています。さらに、中国政府に圧迫されているのは香港だけではありません。
　南モンゴルでは、9月から、学校でモンゴル語の授業が廃止され、中国語の授業しか
出られなくなりました。チベットもウィグルに対してもそうです。
　以上の行為は明らかに世界人権宣言及び北京宣言に違反しています。親民主主義の
国々は中国政府へ譴責及び制裁をかける責任があります。我々は人権理事会に下記の
ことを中国政府に提言をかけることを要請します。》
　※アンディ・リーら12人は、8月23日、台湾への密航の途中、中国当局に拘束され
深圳塩田拘置所に連行された。(「正論」2020年12月号に掲載された、ウィリアム・
リー氏の記事「もう香港に戻れない」より）
　近年、強大な軍事力を手にした中国は、台湾、尖閣諸島、南シナ海を公然と自国の
領土と主張し、その先に広がる公海、太平洋に覇を求めている。
　11月24日～25日、王毅外相が来日した。日本語の堪能な王毅外相が読むことを想定
したものか、11月25日、日経新聞は「マリントラフィック」サイトで過去1年間の
動きを見たとたろ、中国公船の四割にあたる13隻が太平洋に進出していると報じた。
　国際条約で300総トン以上の船に義務づけられるAIS(自動船舶識別装置)信号が、
急にとぎれ、数日後に別の海域に現れるケースが、少なくとも10隻確認できた。
　AISのスイッチを切って航行する行為は国際法違反で、許されるものではない。
　「中華民族の偉大なる復興」は、江沢民らが作り上げた歴史認識＝物語であった。
　彼らが復興すると主張する領土や海域は、歴史的に他国に属する領域だが、一般の
中国人は過去の事実を調べようともしない。もし疑問を抱き、外国の情報を確かめ、
知り得た事をうっかり他人に打ち明けようものなら、国家転覆罪で逮捕されるからだ。
　1994年、新たな歴史教科書を使った教育が始められた年、幼児はおよそ6歳だった。
　2001年、幼児が中学生になった頃、中国は小泉首相の靖国神社参拝に反発した。
　中国は「過去を反省しない日本」のレッテルを貼り、それまで進んでいた日本の
国連常任理事国入りを葬り去った。
　2004年、幼児が高校生になった頃、AFCアジアカップサッカー大会で、過激な反日
感情が表面化した。2005年には、四川省の日系スーパーで反日暴動事件が起きた。
　本書は習近平総書記就任前の2012年に刊行され、2014年に邦訳されている。
　そこで、最後に2012年前後に起きた事象を少し振り返ってみることにする。
　2008年、幼児は18歳の青年になっていた。北京オリンピックで習近平が演出した、
偉大な中国の歴史物語を目にした彼等は、教科書で学んだ通りの国の姿が会場全体で
展開されているのを見て、さぞ感激したに違いない。中国選手はこの大会で51個の
金メダルを獲得し、アメリカ36、ロシア23、イギリス19を越え世界を圧倒した。
　若い同胞が西洋諸国から受けた「国恥の一世紀」を跳ね返した。偉大な中華民族の
革命歌が表彰式で歌われる光景を51度も見ることができた。
　映像化された偉大な中華民族の復興は、18歳の青年の脳裏に焼き付けられた。
　2012年、幼児は22歳になった。愛国主義に酔う過激な破壊活動家は、天安門事件は
もとより、近代史のワンサイドしか知らない。
　2012年8月15日、中国フェニックステレビクルーが、中国、香港、マカオの活動家を
伴い、尖閣諸島に上陸した。このテレビクルーは日本の海上保安庁が彼らを検挙する
様子を生中継し中国本土に放映した。活動家が逮捕され、強制送還されるや、中国
全土で強烈な反日デモが広がった。9月10日、日本政府が尖閣諸島を国有化すると、
胡錦濤主席は各メディアに特番を編成させ、国民の反日感情をあおり立てた。
　日系企業の工場、自動車販売店は徹底破壊されたあと放火された。日系スーパーや
コンビニも大規模な破壊にあい、商品を略奪され、中国人が経営する日本料理店も
襲われた。日本大使館の車を妨害し、中国人が所有する日本車も破壊しまくった。
　2012年11月14日、第18回全国代表会議で、習近平は中国共産党総書記に選ばれた。
　2020年、あの幼児は、30歳を迎えている。
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　歴史認識は、政治的に選択された歴史の断片が集合的に記憶され定着したものだ。