【粋は身を食ふ】
ちょっと粋ですねと他人に言われ，その気になって，粋であろうとする．それが次第
に高じて，ついには本業を潰してしまう.
有名な紀伊国屋文左衛門は，ミカン船でもうけたお金を，全部吉原で使い果たし，
江戸っ子から，粋な人だと喝采をあびたそうです．ミカンがスイから，粋になったなん
て洒落を言っているうちは野暮と言うもの．
紀伊国屋は没年享保19年(1734), 元禄期の商人です. 明暦三年の大火(1653)を筆頭に
江戸の火事が一番盛んなころ, 材木で大儲けしたのでした. 日光東照宮の造営で儲けた
奈良屋茂左衛門と, 吉原で競いあって遊んだ話が残っています.
吉原の揚屋は, 江戸中期の宝暦11年(1761)に消滅し, 手軽に遊べる引手茶屋の時代に
代わります. 用語は似ていますが, かなり違った遊び方でした. 元の揚屋遊びの豪快さ
をガイドブックに従って解説しますと, まず, 太鼓持ちと女芸者数人を従えて行くこと
が常識です. 大門をくぐり仲の町の右側に並ぶ揚屋に, 太鼓持ちが案内するままに揚が
る. 揚屋が, 通か野暮かを判定し, 野暮だとここで追い返されます. 揚屋に身元保証を
してもらって初めて遊女を呼んでもらえます. ここから呼ぶ遊女は最高位の太夫か二位
の格子女郎まででした. 揚げ代は一両前後. 揚屋差紙で連絡を受けた遊女屋さんから,
ご指名の太夫が妹女郎の新造や禿を従えて揚屋に向かいます. この行列が「道中」で,
今に伝えられている「花魁道中」の原型になったものです.
お客は太鼓持ちのなすままに, 上座に太夫を迎え, ご対面するだけでその日はお終い
です. 宴会費はもちろん, 遊女のお供, 揚屋の従業員にまで, ご祝儀をはずみます.
しかし，太夫にふられたら, ここでお終い. 首尾よく気にいられるかどうかは, 太鼓
持ちと女芸者連中の取り持ち次第だったようです. 連中への日頃のケアーが大切だった
のです. かくして「裏を返す」二回目の登桜になり, また前回同様の宴会をはって,
その日もお終い. 床入りは, 三回目に成立する仕組みです. 新調の夜具代が50両もして
泣きなのですが, その後も四季の衣装, 本人分, 新造分と負担は急激に増加します.
馴染みになると他人の手紙を見せるようになるが, ジェラシーを抱かせるだけが目的なので, 親しみの表現と勘違いして, それは読まない方が良いとあります.
当時のガイドは現代にも通用するシビアな名作です. （付録：吉原ガイド参照）
【墨に染まれば黒くなる】
交際する仲間によって人は感化される．
「朱に交われば赤くなる」の方が一般的な表現です. 朱と赤のペアに対して
墨と黒のペアを持って来たという分けです．
墨を黒と書いて良いものかと考えますが，こんな用例が尾張にはあります．
尾張一の宮「真清田神社」はマスミダと読むのですが，延喜式神名帳には「真墨田」
とあります．これを「真黒田」とも書きます．清も墨も古い用例で，長く併用されて
来たもののようです．尾張氏の祖先，天火明命を祭った神社です．
「畔」は田のアゼのことですが，クロと読み，平地の小高いところを指します．黒田
は小高いところにある田の意味です．黒部とか黒谷，黒木，黒岩も同じ用例です．
黒が墨に置換された例では，東京の墨田川も同様の語源ではないかと想像します．
慈円の「おほけなく浮世の民のおほふかな わがたつ杣に墨染の袖」も住みと墨が
掛けられた例ですね．
岐阜県根尾谷の薄墨桜について, 墨と住みを掛けた, 継体天皇の御製と伝わる歌が
あります. この地に薄く住んでいた事を物語る証拠とされる歌です.
「身の代( しろ) と遺す桜は薄墨よ 千代に其の名を栄盛( さか) へ止むる」
小椋一葉さんの「継体天皇とうすずみ桜」にのみ取り上げられている幻の伝承があり
ます．「真清探當證」( ますみたんとうしょう) という伝承文書によると履中天皇の
皇位継承者であった市辺押磐皇子が, 雄略に狩りにさそわれ, 暗殺されたことから話が
始まります. その二人の稚児, 億計王と弘計王が, 命からがら滋賀県を通り, 尾張へと
逃げのびて来た時, 黒田の一里半手前にある松ケ枝郷の森で夜中になってしまった.
ところが, 幼い二人は淋しい森で寝るのは嫌だとダダをこねたと言います. 先導した
市川大臣は困り果てて, ここはもう黒田だけれど, 夜更けだから, ここで寝ましょうと
二人を安心させたそうです.
翌朝, 一里半歩いて今度は本当の黒田大神に到着した．二人は神宮に上がり，ここは
どこかと聞かれた. 市川大臣はここが実は黒田とは答えにくい. とっさに, ここは
真の黒田大神ですと答えたと言うのです. それ以来「真黒田神社」と呼ばれるように
なったと. ここに登場する, 弘計王の子が後の継体天皇です.
