[骨折日記４]

4月28日(月)午前10時30分

　朝8時半を少し回った時刻を見はからって本部長に電話をして事情説明した．
　どんなことをしても一度出社して成績評価だけは済ませるつもりであること
を伝えた．「しょうないなあ」とあきらめたような返事が返ってきた．
　この状態ではリュックを背負ってタクシーで出社するしかないと思った．

　家内が早々に仕事を切り上げて帰宅してきてくれた．
　ふたりでタクシーに乗って再び病院に向かった．
　その途中でお客様から携帯に電話があって，会話している内に，普段の
感覚で5月8日に訪問する約束をしていた．
　それまでには回復しているだろうとタカをくくっていたからだった．
　外来初診の受け付けは11時までだったが，どうにか間に合った．
　大型連休を前にした谷間の月曜日だったからだろう．病院は人で一杯だった．
　昨夜で味を占めた車いすを早速お借りして，家内に押してもらって外来の
整形外科へ向かった．
　モダンな建物の病院だった．
　天井は吹き抜けでガラス張りだった．そして正午になると日差しを和らげる
ためのシートが自動的に出てきて天井を被った．
　待ち合い室から良く見えるところに順番を示すボードがあって，ゆるやかに
順番が進んで行った．
　先生は4人しかいないようだった．
　とても正午までには回ってこないことが分かったので，ふたりでレストランに
行き，食事をすることにした．
　車いすでの移動は楽だし，レストランに入る処にも段差は無い．
　係りの人が車いすで着席できるようにテーブルをしつらえてくれた．
　この辺の手際は並のレストランではないと変な感心をしてしまう．
　すべての料理にはカロリー表示がしてあった．
　美味しそうなオムライスがあったので，それを注文したが，カロリーはやや
高めだった．
　オムライスの最後の一口だけを残して，ちょっぴり減量に努力した気分に
なって，アイスコーヒーにもミルクだけを入れて，飲むことにした．

　外来診療の待ち合い室では，遅々として番号が停滞していた．
　持ってきた「ロゼッタストーン解読」は，面白い本だった．ナポレオンの
暴挙やネルソンの海賊的ロゼッタストーン奪取，そして王政復古，革命などの
社会混乱に振り回されながら，グルノーブル市民であった時代，パリの時代の
困苦や，やがてヒエログリフの解読に到るシャンポリオンの驚くべき情熱と
努力が書かれていた．競争者だった人々との決定的違いも良く描写されている．
　ヒエログリフが表音文字だったとは，確かに凡人には気づかない着眼点だ．
　アルファベットと同じだから，ローマ字で名前を書くように使えるのだ．
　待ち時間は苦にならなかった．
　これで足が痛くなかったら最高だったろう．
　試みに息子の名前をヒエログリフで表記してみた．なかなか良い出来だ．
　次回何かに名前を書く時には，ヒエログリフ版を用意して置こうかなどど
軽い冗談まで思い付くほどだった．
　残念ながら邦訳本には，そのヒエログリフ解説部分が省略してある．
　日本の読者には不要だろうからと書かれていたが，どんな頭をしていると
そう思えるのだろう．解読書などを読むマニアは，それが一番興味に満ちた
情報だというのに．

　午後3時をかなり回ってから，私の順番が来た．
　「和田光平さん，４診へどうぞ」
　呼びかけられて中に入った．
　山本浩司医師が担当だった．先生は私の昨夜のレントゲン写真を見ながら，
ここが骨折してますねと宣言した．太い大きな骨の末端，クルブシ内側の丸い
被いのような部分が水平に割れていると言う．
　まだ自分では半信半疑だったが，整形外科の専門医の眼は昨夜の若い先生
の比ではなさそうだった．
　この角度では良くわからないので，別の角度のレントゲン写真と，比較の
ために正常な左足の写真を撮ってきて，またここに来てくださいと言われた．

　昨夜のレントゲン室に再び入った．撮影が終わり，フィルムを受け取って
先程の診察室に戻って，また待った．
　4時を過ぎた頃，山本先生に呼ばれて診察室に入った．
　先生が笑っている．
　「和田さん，以前左足を骨折されましたか？」
　自分では何も自覚したことは無かったが，左足のレントゲン写真は明らかに
右のそれとは違っていた．
　細い方の外側の骨の下に，ビックリマークの下のような丸い物が写っている．
　「これって，骨ですか？」
　「そうですね，以前に骨折して，はく離したか，何か遊離した骨片がこう
なったか，とにかく不便がなければ，このままで問題ありません」
　隣で家内も笑っている．主人も我慢にも程がありますから･･･
　私も思わず笑ってしまったが，そんなことより右足だ．
　今度の写真では，はっきりと骨折していた．
　「このままでは歩行困難になる恐れがあります．後遺症が心配ですから，
手術して接続しましょう．開いて，ここにチタンのボルトを入れます．手術は
来週にしたいのですが，予定が全部詰まっていますねえ．再来週になりそう
です．そのあと1週間くらいで退院できます．手術までは自宅待機してください．
足はこのまま重力を掛けないでいてください」
　「仕事に行っても良いでしょうか？」
　「仕事の整理があるでしょうから，行かれて結構です．治療は長くなります
から」

　ざっと計算をしてみた．これから自宅待機して，12日の週に入院手術，
その後1週間とすれば23日頃まで社会復帰は出来ない．
　何という事態だろう．目の前が真っ暗になる思いがした．